knight_leonさんは日本の能楽に興味を持ってらっしゃるんですか。
それ全文中国語に訳すには、かなり日数がかかりそうなので、ここでとりあえず分かりやすい現代語訳を貼っておきましょう。
一
ワキ(詞)
私は武蔵の国に住む熊谷直実と申しますが、
出家して現在、蓮生法師と名乗っています。
実は一昨年、津の国一の谷において、
平家一門で無官の大夫と異名をとった、
平敦盛をこの手で殺してしまいました。
それが大層痛ましく感じられたので、
黒谷の法然上人の弟子となり、
諸国巡礼の旅を行っています。
それで、これから一の谷に下り、
二
より一層心を込めて、
敦盛の霊を弔おうと思っています。
(道行)
月の夜に都を旅立って南に向い、
水車で名高い淀や山崎を過ぎ、
昆陽の池や生田川を渡って、
波の打ち寄せる須磨の浦を通り、
ようやく一の谷に着いた。
三
さて、自分一人で一の谷に下り、
付近の景色を眺めてみると、
敦盛を討った時の様子が、
現在のことのように、
はっきりと思い出される。
また、あの丘の方からは、
趣きのある笛の音も聞こえてくる。
しばらくここにいて、
あの笛の音色を楽しむことにしよう。
シテ・ツレ(一同)(次第)
草刈男が笛を吹けば、
それに呼び寄せられるように、
野風が吹いてくる。
四
シテ(サシコエ)
あの丘へ野を分け入り、
一日中草を刈って、
夕方ようやく家路に着く。
シテ・ツレ
その家といえば須磨の浦。
程近い距離とはいいながらも、
ある時は山に入って草を刈り、
ある時は浜辺へ出て漁をしながら、
生きていくのは辛いものだ。
(下歌)
もし、わが家を訪ねてくれる人がいれば、
私は一人、侘び住まいをしていますよ、
とも答えようが、
(上歌)
もし、須磨の浦で、
一人辛い生活をしていることを、
知る人間がいれば、
五
ツレ
一人辛い生活をしていることを、
知る人間がいれば、
シテ・ツレ
普通だったら、
たまには様子を伺いに来る友もあろうが、
情けない生活が余りに長く続くと、
親しい友人とも疎遠になってしまい、
生きていることだけに追われて、
あきらめが先に立ってしまう。
ワキ
そこの草刈りの方々に
伺いたいことがあります。
ワキ
どのような事でございましょう。
六
ワキ
先ほどの笛は、あなた方のどなたかが
吹いていらっしゃったのでしょうか。
シテ
ええ、我われで吹いていたものです。
ワキ
草刈りという職業からは想像も出来ない、
風流なことをたしなまれるのですね。
いやはや、なかなか風流心がおありだ。
シテ
職業からは想像できない風流なことと、
おっしゃいましたが、
「まさるをも羨まざれ、
劣るをもいやしまざれ」
(自分より優れているからといって、
相手を羨んではいけない。
自分より劣っているからといって、
相手を蔑んではいけない)
ということわざもございます。
八
ツレ(一人)
しかも「樵歌牧笛」といって、
ツレ(一同)
草刈りの吹く笛の音や木こりの歌などは、
歌人の和歌にも詠まれてきたのです。
だから、草刈りである我われが、
誰もが知っている笛を吹くからといって、
不審にお思いくださるな。
ワキ
なんとも趣きのある答えだろう。
では「樵歌牧笛」とは何の事ですか。
シテ
草刈りの吹く笛の音や木こりの歌は、
ワキ
辛い日々を送るための生活の一部。
シテ
謡うことも、舞うことも、
八
ワキ
吹くことも、
シテ
興じることも、
地謡(初同)
世の中の風雅な芸とは、
それを愛する人の心にこそ伝わるもの。
「小枝」「蝉折」など、
笛の名前もいろいろあるが、
草刈りの吹く笛の音を聞いたならば、
それは「青葉の笛」と思いなされ。
住吉の海の近くで聞くば、
それは「高麗笛」に違いない。
九
ここは須磨の浦だから、
漁師が塩を焼いたたきぎの、
燃え残りと思いなされ。
ワキ
お尋ねしますが、
他の草刈りの方たちはお帰りになったのに、
あなたお一人だけ残っていらっしゃる。
何か訳でもあるのですか。
シテ
理由でございますか?
それはあなた様のお念仏を、
お聞きしたいからでございます。
一〇
どうか十念をお授け下さい。
ワキ
十念はお授けしますが、
それにしても、あなたは誰なのですか。
シテ
実は私は平敦盛に縁の者でございます。
ワキ
敦盛殿の縁の方とは……、
その名を聞いて、思わず懐かしくなり、
手を合わせて南無阿弥陀仏。
シテ
南無阿弥陀仏。
シテ・ワキ
若我成仏十方世界
念仏衆生攝取不捨
(もし、自分が成仏できれば、
あらゆる世界の者たちを
残らず極楽浄土へ迎えよう) |